趣味を仕事にするためのブログ

僕が「好きな事をした方が良い」と人に言い続ける理由

僕が「好きな事をした方が良い」と人に言い続ける理由は過去の大病のせい

 
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『趣味を仕事に』をテーマに活動中のフリーランスアートディレクター。趣味のインテリア、デザイン、カメラマンをメインに自分の『価値』を使って仕事をしています。このブログでは未来の働き方を考えて、如何にして好きなことだけで生きるための方法や自分の仕事のこと、日々思うことを書いています。

GWはいかがお過ごしでしたか?

僕は相変わらず好きなことをしていました。実家へ泊まりで遊びに出かけて、

動物園へ行ったり、

子供の写真を撮ったり、

BBQをしたり(※写真は姉ちゃんの子供達)、途中で思い出したかのようにノートパソコンを開いて仕事してみたり、また遊んだり。

GW中、5/3の誕生日で36歳になりました。この時期になると毎年、年齢を重ねると同時に「生きること」を少し考えます。というのも6年ほど前の夏に脳梗塞を患ったからです。

ミスを許さないストイックな生き方だった

30歳の今頃、僕はかなりストイックな仕事の仕方をしていました。

僕がいた会社の所属部署は成績が良く利益を出していて部署内の空気は明るく、仕事を頑張って20時ごろに帰宅していくような良い環境でしたが、僕は1人で深夜1時、2時まで仕事をしていました。

その部署が成功している中、業務時間には通常業務を行い、その後に足りてない部分を分析して補完するために誰に指示される訳でもなく深夜まで働いていました。

その頃、僕は課長職を任され直属の部下がいました。その部下には1ミリの甘えを許さなかった。技術不足や経験不足を理由に言い訳をしてくる相手を否定していた。俺よりやったのか?と。

突如意識不明に脳梗塞を患う

そんなマッチョな生活をしていた時に、突如体の異変が起こった。

いつものようにミーティングを行なっていた時に、目の前に書かれている文字が読めない。フラフラして立っていられない。手が痺れてペンも持てない。吐き気がする。

向かいにいた同僚が「それ病院に行った方が良いですよ!早く行ってください!」と周りが焦っていたのを覚えています。

会社から徒歩5分にある大学病院へ歩いて行ったのだが、どう行ったのか覚えていない。

病院の待合室で完全に意識を失った。

人を責めるのは、もうやめた

僕はそのまま緊急入院することになったらしい。

目を開けたら病院の天井が見え医者にベットを囲まれていました。周りをよく見たら家族が集まっていた。

気分が悪くなって病院に行ったことは思い出したが何時間経ったのか何日経ったのかも分からなかった。その場で医者から説明を聞いたところ僕は小脳の動脈が詰まり脳梗塞になったのだと言う。(30代では珍しいらしく、最初は薬物依存者だと間違われた笑)

そして2週間入院することになった。

血が固まらない薬剤を投与する点滴を受けながら、毎日、朝6時に起きて7時に朝ごはんを食べ、12時に昼食、18時に夕ご飯を食べて21時に就寝という規則的な毎日。食事の間に1〜2時間ほど検査が行われ、一日3回検査の日もあれば1回検査の日もありました。

検査がない時間は、6人部屋の狭いベットの上で何もない何もすることがない静かな時間を過ごしている。そうすると仕事のことを思い出すことがあって、直属の部下の仕事はどうなっているかなとか、良く考えたら自分のことを押し付けてしまっていたかなとか、否定ばかりをして悪かったなとか、そんなことを考える時間になっていました。

数日経つと、お見舞いが可能になり数人の同僚が仕事の合間を見て来てくれたが、その中に直属の部下はいませんでした。

その時、怒りや悲しい感情はなく、今まで自分は仕事を完璧にこなそうとしていたが、相手からは敬遠したい人間になっていたと感じた。(その時の仕事が忙しく敬遠してない可能性もあるが)

僕は思った。相手に成果が出ていないのは相手に問題があったのではなく自分から逃れたいと感じられていたのではないかと。

そこから、もう相手を責めることをやめた

本当にやりたいことは仕事じゃなかった

検査を重ねることで自分に後遺症がないことが分かった。

最初はフラフラしていたのだが食欲が戻り体力も回復してきた。ただし、医者の話を詳しく聞くと数十分遅れていたら半身不随になっていたかもしれない、死んでいた可能性もあったとのこと。

僕は割と楽観的な性格なのだが、この時ばかりはゾッとした。

そして、こんなストイックで体が壊れる働き方をする無意味さを認識した。何のためにそこまでする必要があるのか合理的な答えが見つからなかった。

毎日朝から深夜まで働き、それでも足りないと思って1人で休日出勤を繰り返す。その結果に得られたものは上司からの評価と役職、昇給だった。

生き甲斐とは一体なんなのか考えてみると、

会社の利益?

部署の成績?

自分の評価と給料?

全くピンとこなかった。評価が上がり役職を得られても部下からは敬遠され、給料が上がっても住む場所のグレードを上げたり良い服を買ったり無駄遣いをするだけ。

こんなことをしたい為に生きているんじゃない。もっとやりたいことをやろうと考えるようになってきた。

そしてある程度自分の心の余裕を持つことにした

好きなことを仕事にするために考え抜いた

僕は退院してから、楽しいことや好きなことを仕事にするためにはどうすれば良いのかを毎日考えるようになりました。

自分はデザイナーだからフリーのデザイナーとして生きるべきか?

しかし、クライアントがいて、その下請けとして頑張るというのは会社組織と何ら変わりのない構造だと思いましたし、うまくいくとも思えませんでした。どう考えても自分1人で好きなことをして生きていくのは、とてつもなく高いハードルだと感じました。

なぜ好きなことで生きることがハードルに感じるかと自己分析を繰り返すうちに分かったことは、下請けの弱点は上に全て握られている状態だということ。自分はあまりに無力だと思った。

では、どうすれば良いかと考えたかというと「自分自身がクライアントの立場」になる、もしくは「クライアントと同列になるか」の2つの方法がある。今さら一流企業に転職できる訳もないし、自分で事業を立ち上げるアイデアもスキルもなかったため、同列の人を増やせば良いと考えるようになりました。

そのために多くの人と会う活動をしました。新しく出会う人や同じ志を持つ人を探しました。

でも、好きなことを仕事にしていくという価値観は共感されるものの、そこに人生を賭けると考える人は誰一人いなかった。「それ出来たら面白いよねー」という言葉、反対に考えるとでも出来ないよねというニュアンス。なかなかこれも難しい。

僕が好きなことをした方が良いと言い続ける理由

僕は今、会社を辞めて好きなことを仕事にしています。インテリア、デザイン、写真撮影、ブログ、ブランドプロデュースなど。

好きなことを仕事にするために毎日どうすれば良いか戦略を練って、どう行動すれば成功の確率が上がるのか、ずっと考えていました。とりあえずリスクがほぼゼロのブログでインテリアを発信して月に5万円のアフェリエイト収入の目標を掲げて始めたり、デザインの仕事でも同列に扱ってくれるクライアントさんの仕事だけをやってみたり、撮影の仕事をしてみたり、仕事を取って来てアートディレクション(デザインのコンセプトや方向性を決める人)をしてみたり。収入の安定は全くありませんし副業レベルの収入程度しかありませんでしたが。(今もそんなに安定してないけど笑)

さらに色々な人に会い考えをまとめて試行錯誤したら、個人で生きる勝算を感じたので会社を辞めることにしました。

その勝算とは、僕自身が何とか好きなことをし続けて生きて、その成功や失敗をこれから好きなことで生きていきたいと思う人に全てを共有し、好きなことで成功する人を増やすことで、同時に同列の人達を増やすという考えです。他人が成功すれば僕が生きやすくなる、僕が成功すれば他人がより成功する、というものです。

その為に僕はこのブログを書き続けますし、

好きなことを発信しますし、

プラスになるなら人前に出ますし、

好きなことで頑張っている人を応援したいし、

大変でも楽しめますし、

人(犬)の為になることをしたいし、

面白い人とは会いたいし、

新しい価値観に触れたいし、

人と繋がりたいと思います。

僕は、好きなことを仕事にしたいと思う人達がもっと増えたら、もっと世の中が楽しいだろうと考えているので、今までしてきた体験の詳しいことの共有や、相手の相談を直接聞く場を作るイベントを毎月開催していたりします。(※黒い服の人は講師として呼んでいる方)

 

いつ死ぬか分からないし、どうせ死ぬんだし、好きなことしようじゃないか!!!

 

と、毎年1度想うGW最終日の気持ちでした。読んで頂きありがとうございました。

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